佐渡島に移住して19年間生活して良かったこと・困ったこと

私が佐渡島へ移住したのは、もう19年も前になります。佐渡出身の夫に突然郷里への転勤命令。池袋のオフィスで電話越しに聞かされました。夫にとってはUターンですが、私には未知の世界、しかも好んで移住するわけじゃありません。当時の移住と現在の移住では大きく異なる点があります。19年経っても変わっていないもの、改善されていないものに限ってお伝えしていきます。

1.佐渡島で良かった話

1-1.魚が捌けるようになった

私は移住前に夫の帰省で何度か佐渡へ訪れましたが、最初に上陸し(?)初めて義実家で食事をしたとき、山盛りの新鮮なお刺身さんに迎えられました。当時、存命であった夫の父親は底引き網の漁師で、その日獲れた漁果を大皿にどーんと盛り合わせてくれたのです。

ヒラメ、クロダイ、イカ、「まるで食の竜宮城やあ!」な世界でした。こんなの東京で食べたら、諭吉さん何人召喚か判りません。朝獲れたばかりのヒラメって東京で食べるといくらなの?空輸なの?とにかく都会にいたら、なかなかに縁の無いものです。

移住するとすぐにこうした魚介類を好意で頂くようになりました。漁港では規格外の大きさ、容器に入りきらない魚は島外に出せないので、仲の良い漁師さんや釣り師さんのお友達ができると、いつも美味しいお魚をくれるのです。

折角(タダで)頂いたお魚、美味しく食べなければバチが当たります。ホームセンターで出刃包丁を買い、捌き修行に入りました。東京で生活していた頃は魚を捌こうなんて夢にも思っていません。というか魚は一生切り身で買う物、と思っていました。義母の手元をよく見せてもらい、何度も挑戦している内に私でも魚が捌けるようになりました。

暮に私の実家に帰省したとき、義父がクーラーボックスに入れたヒラメを持たせてくれました。それを実家の台所で私が捌いてみせると、実父はほぼ男泣きです。「島へ嫁に出してよかった」だってさ。食い意地の張った親父です。

頂くのは魚介類ばかりではありません。畑を作っている人も多く、旬の野菜を頂きます。収穫期は重なるので、佐渡の人は「頼むからうちのキュウリもらってくれ」とかよく言われます。2週間たけのこルーティン、真夏の茄子きゅうり祭、春の山菜大歓迎大会、20年足らずの島暮らしで、旬の野菜料理をたくさん覚えました。

佐渡島は農業、漁業の他に畜産も行われています。牛さんも豚さんも鶏さんもいます。牛乳とその加工品も他に類を見ないほど美味しくてクセがありません。美味しいお米も採れるので、自給自足が可能と言われています。

1-2.子供がワイルドに育った

自分がキャンプ好きだったため、かわいい子にはキャンプさせろ、が私の持論です。佐渡島は正式なキャンプ場は少ないですが、しようと思えばどこでもキャンプができます。佐渡市は東京都国分寺市と姉妹都市契約を結んでおり、例年国分寺の小中学生と合同キャンプが開かれていました。この合同キャンプに私は子供を何度が放り込みました。

帰宅した子供の言うことにゃ、「お母さん、東京の子はカニみそ食べられないんだよ!どうしてかな?あんなに美味しいのに?」よく聞いてみると東京の子はカニの足を自分で剥けない、カニの身をほぐせないのだそうです。その為、うちの子が東京の子たちのカニを剥いて身を出してあげたそうな。美味中の美味、カニの中でも最も美味しいのがカニみそですよね。佐渡の子には常食です。

でも東京の子は気持ち悪くてカニみそが食べられなかったんだって!きっと大人になってから彼らは後悔するに違いない…国分寺の子が言うには「佐渡の子ってワイルド!」だそうです。うちの子、ちょっと前まで東京都中央区の子だったんですけど。佐渡島は子育てする環境としては賛否ありますが、少なくともカニを剥けるワイルドは子にはなるようです。

1-3.タダで海水浴に行ける

私は瀬戸内の海育ちです。毎日安芸の宮島を眺めて通学していました。従って海は大好きです。東京で暮らすようになってから、海水浴に行くには相当な準備と気合がいると知りました。東京でも晴海付近で暮らしていたので、海は身近にありましたが、さすがに晴海や築地で泳ぐわけにはいきません。東京人が海水浴に行くには、千葉や湘南ですよね。ほぼお泊りコースです。

佐渡へ来てからは毎年夏に近場の海へ子供と泳ぎに行くようになりました。家から水着を着てそのまま海へドボンです。帰りもバスタオルをお尻の下に敷いて車で5分、自宅のシャワーを浴びます。佐渡の人は余り海水浴が好きでは無さそうです。最盛期でも浜が混んでいることはありません。女性は特に海へ入ることを嫌います。なんということでしょう。

近場の海は透明度が高く、足が届かない水深でも海底まで見透せるんです。魚もたくさん泳いでいます。こんなきれいな海に入らないなんて、理解できません。が、佐渡の人に言わせると「この海岸は佐渡で最も汚染された海」だって。え?うそ?ほんとらしいです。もっともっと綺麗な海が佐渡ではそこら中にあります。だからこそ、海に入らないなんてもったいな、と思うのですが。

こんな所もあります。

二つ亀海水浴場:ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで二つ星を取った海水浴場です。日本の快水浴場100選にも選ばれた名勝です。透明度は限界まで。地球を体感できる海。この海に入ると、一生忘れられない経験になります。

琴浦ダイビングスポット:高い透明度と複雑な地形がダイビングをアップグレードしてくれます。この海で光るイカに出会ってから、私は海の虜になりました。

入川キャンプ場:海水浴場とキャンプ場が一体化しています。海の向こうはもうロシア。真夏でも快適な低水温。サザエやアワビの漁場も近いので、漁業権には留意してください。

2.佐渡島で困った話

2-1.地元の過干渉には困った

佐渡島の人は移住者に対して興味津々です。正直辟易します。他のライターさんも書いておられますが、プライバシーというものが島には存在しないようです。

佐渡へ移住したばかりの頃、自宅から車で20分の義実家へ訪問した帰り、長手岬という場所で缶コーヒーを買いました。喉が渇いたからです。他に理由はありません。自販機をポチッとしただけです。次に義実家を訪れると、私が長手岬で缶コーヒーを買っていたことを集落のみんなが知っているました。

これには驚いた、っていうか怖くなりました。見張られてる?缶コーヒー買ったらダメなん?と頭の中は???だらけですが、これも佐渡の風習なのでしょうか?いずれにしても私はそれ以来長手岬で缶コーヒーは買わなくなりました。義実家を訪れた後は寄り道せず、まっすぐ帰宅することにしています。

2-2.交通マナーが悪い

佐渡島は車生活です。東京ではペーパードライバーだった私も生活の為、佐渡ではしっかり運転するようになりました。車生活の割に佐渡は交通マナーが著しく悪いです。路上駐車が当たり前のように行われています。旧道が多い地域では道幅が狭いので、本当に危険を伴います。それでも路上駐車は無くなりません。

高齢者ドライバーの運転マナーや技術が問題になっていますが、佐渡でも同様です。佐渡市の老年人口は全住民の40%以上を占めています。全ての高齢者ドライバーが悪いとは言いませんが、動作が不審な車には通常よりも多めに車間距離を取って自衛しています。夜間照明が少ないのも事故が多い原因の一つでしょう。

佐渡では高齢であっても運転しなくては生活できない状況にあります。高齢者に運転マナーや技術を補講させるのは気の毒であり、時間の無駄な気がします。高齢者が運転しなくても日常生活に支障が無いよう、整備、構築していく必要があると思われます。

3.佐渡島○○はある話

3-1.実は山もある

海ばかりとおもいきや佐渡はトレッキング向きの山もあります。険しい山では無いので、誰でも気軽に楽しめます。山歩きをしていると、滝に出会います。養老の滝や流人僧が修行したという滝もあり、情緒もマイナスイオンもたっぷりです。

金北山中に乙和池と呼ばれる池があり、水面に浮島を形成しています。浮島は日本最大級の高層湿原であり、20種以上のコケ類が生育しています。

佐渡金銀山の施設「北沢浮遊選鉱場」がジブリ映画のラピュタに似ていると言われますが、この浮島はもののけ姫の世界です。浮島は県の天然記念物であり、悲しい民話が伝わっています。

3-2.スポーツクラブがたくさんある

佐渡にはスポーツクラブがたくさんあり、スポーツ愛好家が多いようです。子供向けのスポーツクラブはどれも大変熱心で丁寧な指導で知られています。数年前に佐渡高校のバレー部が春高出場を果たしました。メンバーは地元のスポーツクラブ卒業生が大半を占めています。

バドミントンで全国優勝もよく耳にします。少子化で厳しい状況にあるようですが、柔道や剣道といった武道系もさかんに機能しています。子供はとりあえずスポーツやっとけ、みたいな雰囲気が島全体にあります。佐渡は筋肉脳?

4.佐渡に○○は無い話

4-1.塾が無い

スポーツクラブはたくさんあるのですが、学習塾が余りありません。有名予備校というものも島には入っていません。なので、学校の先生は進んで補習、補講をしてくれます。オンライン学習も推奨しています。英語塾とかあるといいんですけどねえ。

佐渡島は高校までありますが、大学は無い為、進学を志す学生は高3で島を出て行きます。大学受験は全国同じ土俵で戦うのですから、しっかりとした塾や予備校があっても良いのでは?と思います。予備校で島留学なんていかがでしょうか。

4-2.小児科医院が無い

佐渡島は専門医院というものがほとんどありません。耳鼻科、皮膚科、整形外科、眼科などの開業医が少なく、いつも混雑しています。一番困ったのは、小児科医院が無いこと。小児科は総合病院の中にあるだけです。1カ所しか無いので、混雑は熾烈を極めます。

幼児期の急な発熱には親も一緒に泣くしかありませんでした。高熱を出した子供を抱えて3時間、総合病院小児科の待合室にいました。東京にいた頃は歩いて5分の所に小児科医院があり、主治医の先生に何でも相談できる環境だったのに、とこの時ばかりは移住を恨みましたね。

気軽に罹れる専門医院が無い為、専門科の持病を持つ人は島外にかかりつけ医を持っています。海が荒れればどんなに病んでも傷んでも島外専門医院には行けません。総合病院が充実しているので、離島医療としては恵まれている方だと思われますが、急な病変にはいつも不安がつきまといます。

私は総合病院で不妊治療をしていましたが、良い結果が出ず、さりとて島外の不妊治療医院にも通えない為、二人目の子を諦めました。条件が許せば島外不妊治療医院に通う人もいます。重篤な怪我、疾病の場合はドクターヘリが新潟へ飛びます。

4-3.ショッピングセンターが無い

ショッピングセンターが無い為、買い物に困ります。衣食住全てが賄えるイオンみたいな場所があると助かるんですけど。休日に食、服、日用品と島中を駆け回ったことがありました。品数が限られるので、気に入った物を探し当てるのに一苦労します。運動会や文化祭など子供の行事で用意しなければならない物があると、もう争奪戦です。

「先生、お遊戯に使う白いTシャツが島中売り切れです!」
「…余裕持ってネットで注文して下さい」

5.佐渡島で学んだ話

5-1.佐渡島に息づく流人文化

佐渡島に移住して1,2年は無い無い尽くしの島に馴染むことができず、鬱々とした日々を送っていました。知り合いも無く、周囲の人の佐渡弁を聞くだけで神経がピリピリとした時期が私にもありました。そのままの状況であれば、移住に挫折し、逃げ戻っていたかもしれません。

そんな時、車を走らせていると、観光用の立て看板を見つけます。『物部神社この先1.2km』ええ?運転中、首が曲がる位に驚きました。「こんな所(失礼)に物部神社が?」

物部神社とは古代飛鳥の最強豪族、物部氏の祖神を祭った神社で、近畿、中部地方に見られます。物部氏は天皇に武力をもって奉仕する一族でした。物部が強者を表す言葉、「もののふ」の語源になったことからも、物部氏の強大な軍事力が判ります。

佐渡市小倉の物部神社はこの地に物部氏と関わりのある人物がいたとの証になります。私は大学で日本古代史を専攻していました。専門は飛鳥奈良時代です。物部神社は722年、元正天皇期の官僚にして物部一族、穂積朝臣老(ほずみのあそんおゆ)が信仰していた小祠を元に、建立された神社でした。穂積老を断罪した人物は古代史上名高い長屋王です。

学生時代の勉強と移住した島が繋がった瞬間でした。それからの自分は佐渡に残る流人文化、罪の有無に関わらず流罪に処された古代人の足跡を辿ることに夢中になってしまいます。

6.佐渡島で生きる話

6-1.島暮らしの極意

我が家と同じように夫のUターンに従って佐渡に移住した友人がいます。彼女とは嫁ターンの苦労を一緒に語り合う同志でもあります。(蛇が出たとか、カメムシが出たとか、嫁姑とか)彼女の夫は実家に連れ戻された後、裏庭を全て自分の思う通りに作り変えてしまいました。水を引いて滝に見立てたり、高山植物を植えてみたり、と何年もかけて自慢の庭を構築しています。

彼はその庭を見上げて言いました。「こういう事を楽しめないと島では暮らしていけないんだ」島で暮らしていくには、自然との共生なり、歴史の探求なり、自分独自の楽しみ方をみつけないとやっていけない、ということです。移住鬱を防ぐには自分も積極的に島と関わり、島の良さを自分で見つけなくてはなりません。

私には長い時間がかかってしまいましたが、島と相性の良い人はきっとすぐに島の良さをみつけてしまうのでしょう。島暮らしには向いている人とそうでない人がいます。私は向いていない方かもしれませんが、史跡を辿ったり、魚を捌いたり、お寿司を食べたりして今日までやってきました。

これから佐渡島に移住したいと考える人は、自分がこの島と相性がいいか、島で何をして楽しむかをよく見極めるべきでしょう。お寿司は他所で食べられなくなるくらい、美味しいです。

ライター募集のご案内

こちらの記事は佐渡島にお住まいのあわたゆうさんに書いていただきました。千種ライフスタイルでは佐渡島のおすすめのお店や施設、観光スポットの記事を書いてくださる方を募集しております。

佐渡島をもっと盛り上げたい、佐渡島の良いところを紹介したいという方はぜひご応募ください。ライターの詳細について詳しくは以下のページをご覧ください。

お気軽にお問合せ・ご相談ください